« 欣家 | メイン | 三田本店 »

2005年09月14日

1996年4月13日読売新聞朝刊東京版

こないだ仕事場で新聞記事や雑誌記事検索をしていたらこんな記事に遭遇しましたので紹介します。著作権等で問題があれば削除しますのでご連絡ください。もちろん点線内の部分の著作権は自分にはありません。

---------------------
見出し:[ひゅーまん探訪]「ラーメン二郎」経営 慶大生と歩んで四半世紀

 ラーメン屋を出して初めてのまとまった休みだった。鹿児島や箱根などに夫婦で出掛けた。「後はパチンコ、パチンコ。でも、パチンコは仕事の合間に打ってこそおもしろいことがわかったよ」
 東京・三田の慶応大学正門近くで二十五年間続いた名物ラーメン屋「ラーメン二郎」が、国道の拡幅工事のため閉店して一か月半たつ。主人の山田拓美さん(52)は「おやじ」、妻の康子さん(52)は「おばさん」と学生らに呼ばれ親しまれてきた。カウンター十四席だけの店の前にはいつも長い行列――。
 「うまい、安い、込んでなきゃ早い」と拓美さんが言う二郎のラーメンは、ボリュームたっぷりの、こってり味。値段は三百五十円。「大ぶた」(チャーシュー入り大盛り)、「ぶたダブル」(チャーシュー二倍)など独特の注文法も学生によって受け継がれてきた。
 二月二十九日、閉店の日はシャッターを半分閉めていたにもかかわらず客足が途絶えない。昼過ぎにはめんがなくなった。「スープだけでも」というお客に康子さんは近くのスーパーに食パンを買いに走り、ついにはパンとスープのセットを出した。最後は、店の前で慶応の応援部員が「若き血」を歌ってくれた。
 「慶応の連中はいいやつだよ。勉強してるし、おれにない優しいとこも持っている。中には世間知らずの大バカ野郎もいるけどさ。そのうち小バカくらいには成長するさ」
 道路拡幅の話は昔からあった。五年ほど前、慶応の学生食堂が改装される際は「二郎を学食に」という署名運動もおきたが、実現には至らなかった。結局、同じ長屋の他店との関係もあり、昨年暮れ閉店を決意した。
 「ラーメン二郎」の誕生は二十九年前、場所は目黒区の都立大の近く。当時人気だった「ラーメン太郎」というインスタントラーメンにちなんで名付けた。最初「次郎」と書いたが、三田に移った後、「ペンキ屋が間違えたか」(拓美さん)、「二郎」に。
 ◆道路拡幅工事で今は閉店 三田で再開にこだわり 目指すは「生涯現役」
 拓美さんはもともと和食の料理人。「ラーメンぐらい何とかなるか」と高をくくって店を出したのだが、「いやー、売れなかったねえ。実はラーメンってよく知らなかったんだ」。昼前から深夜まで店をあけて二十杯も売れない。
 半年後、たまたま客だった近くの中華料理店の主人が見兼ねて自分の店で勉強させてくれることに。三か月間そこで修業した。
 店の近くに雪印乳業の社員子弟学生寮があり、寮生が通ってくるようになった。札幌ラーメンを食べて育った寮生が「スープはもっと脂っこく」などと助言してくれたのが、若者に受ける二郎の味につながった。このころ結婚。
 まもなく、区の下水道工事のあおりで最初の移転。客の慶大生が教えてくれた三田の元洋食店で再開店した。「今ではビジネス街になっちまったけどねえ」。当時は小さな飲み屋やマージャン屋が並ぶもっと学生臭い町だった。ラーメン一杯百円。拓美さんの豪快な性格も受け、店は繁盛した。拓美さんは柔道部、ラグビー部などの合宿にもしばしば飛び入り参加した。
 留年して下宿代を払えなくなった慶大生が、世田谷区の自宅に居候したことも。「ちょっと泊めて下さい、とやって来てそのまま一年間いやがった」。その学生、山田さんの子供たちの授業参観の代理出席までしたそうだ。
 結婚式の招待状も舞い込んでくる。ボロ自転車で店に通っていた学生に招かれて康子さんが出席したら、国会議員もいる中で一番前の席だった。「もう感激しちゃって」
 二郎の味は弟子によって広がり、慶応のOB二人も含め現在都内などに七店。経営はそれぞれ独立している。
 「おれはこのまま静かに死んでいこうとも思ったんだけどさ。どうせ後数年だから最後まで店に立とうと――」。再々開店の場所はあくまで三田にこだわっている。自宅に保管してある製めん機の手入れは怠っていない。(伊藤 剛寛)
---------------------

確かに1996/2/29に閉店してから同じ年の6/5に復活するまでは「二郎の空白」というつらい期間でした。支店も吉祥寺(現在生郎)、王子(現在○二神谷本店)、目黒、仙川、鶴見くらいしかなくつらかったです。このころが一番王子に通ったんじゃないかと思います。

三田のオヤジさんにもいろんなドラマがあるんですね。またある方が三田のオヤジさんにインタビューしたものを載せたサイトはこちらです。

投稿者 91E : 2005年09月14日 12:36

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://kiss-to-heaven.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/535

コメント

僕もこの記事は、過去に見た記憶があります。
ネット上で他にも掲載されてるのではないでしょうか。

余談ですが、インタビューもネットにありますよ。
http://www.sthills.co.jp/jiro.htm

投稿者 koneda : 2005年09月14日 14:37

ありがとうございます。
インタビューも本文からリンクを新たに張りました。

そのときは「二郎の記事が載ってるよ~」って話題になったもんです。
記事には確かオヤジさんの写真もあったかなぁ?

ちょっと雑誌検索してみたので、その雑誌を幾つか拾ってきてまたネタにできればと思います。ちなみにテキスト化されているのはこの記事くらいでした。

投稿者 91E : 2005年09月14日 16:56

楽しく読ませていただきました

前の10年前の二郎の話といい
ここは唯一二郎の歴史が勉強できるブログですね

著作権の問題がでないといいですね

投稿者 アオトトロ : 2005年09月16日 20:10

ありがとうございます。

自分もまだまだ新参者と思っていますが、10年間安定的に二郎を食べつづけられるというのはあんまりないということに気がつきました。10年前よく食べていた人はいまはほとんど食べていないみたいです。慶応の応援指導部にいた友人も卒業後はほとんど食べていないくらいです。

実際に他のブログを作っている人に聞いてみたら移転前の三田二郎のことは知らないと言う人がほとんどでしたので、独自性を保てるという意図もありました。昔からの二郎好きの方からの反応もありましたし、よかったです。

この記事については存在自体は記憶していたのでいつのどこかを何とか思い出して見つけることが出来てよかったです。

投稿者 91E : 2005年09月16日 22:41